2016年8月2日火曜日

波付岩 石岡市染谷 namitsuki-iwa Someya Ishioka-city

 波付岩は石岡市染谷、常陸風土記の丘、金山池の南側の小径を少し上の方へ少し登った所、標高約66mにあります。古くからこの地方で波付岩と言い伝えられています。
3百数十年前に書かれた『筑波山恋明書』貞亭4年正月(1687年)刊、(大正2年復刻版・筆者蔵)に筑波山関連の名所旧跡で「波筑岩」とあります。岩石については全くの素人の私ですが横に縞模様が入った変成岩と思われる巨岩群がありそのさまは見事です。
 この波付岩から直線で数百メートル離れた龍神山中腹、佐志能神社付近などにもこのような巨岩があります。以下は石岡市史他、波付岩に関しての資料です。

◆波付岩
波付岩は、波止石ともいわれる。龍神山の南方の峰つづきにある標高66.6メートルの岩山である。
○明治三十四年に石岡の平野松次郎氏が発行した『石岡繁昌記』には「波止石岡町大字染谷字上石倉に在り高さ二拾三丈験幅凡そ七尺頂上に国常立命を祭る、口碑に日く往古此の辺霞ケ浦の一部にして波濤常に此に激す、石岡町の西方より東に廻る恋瀬川の流域即ち其遺跡なりと今其地形を察するに蓋し信なるが如し。」と書かれている。
○昭和三十一年に石岡の今泉義文氏が発行した石岡史蹟保存会会報(伝説十)には「曽ては、この岩肌に貝殻が付着していたのであるが、今はその痕跡すら止め得ぬことは、惜んでも及ばぬ残念なことではある」と記されている。
○昭和四年、六十二才であった長谷川愛石氏も、その著『石器時代の志筑村』において、「大字粟田の台地は南面せる傾斜地にて、而も太古は激浪怒濤澎湃として現在畑中の巨巌にまで打寄せたりと伝へ今に波付岩の名を留む」と記している。  【石岡市史上巻】

○石岡郷土誌第6号昭和59年6月(石岡郷土史研究会)では堀越徹氏が『染谷のこと その1』波付岩の貝のことの中で高さから想定してリス=ヴェルム氷期(15万年~6万年前)のものではないかとされている。【石岡郷土誌第6号】

●波付石遺跡
昭和62年9月波付石付近で発掘が行われ、縄文時代中期住居跡6件、土抗10基を発掘し、縄文土器、石鏃(やじり)、土器片錘「土器のおもり)などが発見された。

10年ほど前のdesital写真が数多く有りますので複数のページでその様子を載せたいと思います。
当時の画像は小さな画像でした。
「かすみがうらネット、霞ヶ浦の自然」私の以前のサイトより一部掲載」

波付岩にて 2007/03/22↑
近世文学研究家 菊池真一氏訳文「筑波山恋明書」波付岩の掲載部分↑
 新芽の頃 波付岩にて 2007/03/22
出羽信仰の碑 波付岩にて 2007/03/22 
波付岩 2007/03/22
波付岩 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩にて 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
 波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22
波付岩 石岡市染谷 2007/03/22


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